2008年07月27日

シャカシャカ

 某Mクドナルドの商品に「シャカシャカチキン」というのがあります
 「シャカシャカ」の発祥には,「シャカシャカポテト」に迄遡らなければなりません
 はっきりした味が好みの私には,「シャカシャカ」の濃過ぎる位の味が堪りません

 チキンだけを シャカシャカするなんて とんでもない!

 私はシャカシャカチキンを注文する時は,ナゲットもポテトも注文します
 そして!何もかも!ぶち込んで!
  シャカシャカシャカシャカ!!シャカシャカ!!!

 勿論実際には一度に全部は入らないので,食べながら何回かに分けてやる訳ですが

 さあLet'sシャカシャカ あれもこれもシャカシャカ どいつもこいつもシャカシャカ 猫も杓子もシャカシャカ いい加減しつっこいよなんて釈迦に説法シャカシャカ

 あらゆる物がシャカシャカされても不思議では無いこの時代
  次にシャカシャカされるのは,貴方かも知れない……



纏め
posted by N.Y. at 04:53| ニューヨーク 晴れ| Comment(15) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

血は争えない

という話を1つ

 私ね,こう見えましてもかなりの 極度の 筋金入りの
寂しがりなんですよ
 それで友人知人に迷惑を掛けた事多数
 けどどうにも寂しさってのが我慢出来無いんですね

 今日,私の御爺様から何度も電話が入ってましてね
 何事かと思って取ったんですよ
 すると

「寂しいんや!」

と泣き付かれましてね
 二言目には
「声を聞いて安心した」
挙句最期に
「忙しい所悪かった また掛けて良いか?」

 余りの事に非常に曖昧な応対をしてしまったんですけどね
 ↑,普段の私の言動そのまんま

 どうやら,私の寂しがりは一子相伝の様です
posted by N.Y. at 01:07| ニューヨーク 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 四方山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

N.Y.的格付け 〜ホラー映画編〜

S級:思わず声が出る
  想定外
  大人でもトラウマ
  真似出来無い
  釣りは要らない,取っときな

A級:思わず声が出る
  良い意味で期待を裏切る
  頑張れば真似出来る事もある
  良い映画だった

B級:来る来ると思ってるとやっぱり来る
  でも声が出てしまう
  良くも悪くも期待を裏切らない
  中学生位迄トラウマ
  真似したくなる
  何故だか上級映画より直視出来無い場面が多かったりする
  御代に見合った出来

C級:眠い
  悪い意味で期待を裏切る
  小学生位にはトラウマ
  真似したくない
  映画代の釣りが少なく感じる
  他人に見せようとする意思が希薄

D級以下:怒りを覚える
    感想より愚痴になる
    負の感情にお釣りが来る 映画代返せ
    映画じゃ無くても良くね?


何が言いたかったかと言うと,
posted by N.Y. at 08:18| ニューヨーク 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | カオス理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

最近の出来事

トゥルル トゥルル♪

BOSS「おはようフェルプス君 指令を伝える
    ロシアへ飛んでくれたまえ
     詳細は追って伝える
      尚、このテープは自動的にs

私「な ん で す と − ? !」
posted by N.Y. at 11:37| ニューヨーク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 四方山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月30日

引き篭もりの理由

 引き篭もりを擁護するつもりは全く無いのです
 むしろ引き篭もりには同情しない立場なのですが

 忙しさから不意に開放されて、家族と街に繰り出している時、ふと思ったのです

 引き篭もりが引き篭もる理由
 それは、外に出る事の寂しさ故では無いかと

 外の世界は広いです
 その広い世界で、見渡せば周りの人は家族、友人、知人、同僚、或いは恋人と一緒に歩いている

 自分には、誰も居ない

 この孤独感が、引き篭もりに外出を躊躇わせているのではないか、とふと思ったのです

 一見、家に引き篭もっている方がずっと孤独ではないか、外には幾らでも人が居るではないか、と逆説的に思いがちですが
 良く良く考えてみれば、インターネットを使えば気の知れた仲間がすぐ捕まる訳です
 一方で、外を歩いている人達は幾ら居ようが、自分と何の関係も無い赤の他人
 又、彼等が孤独では無いという事実を突き付けられる残酷さ
 これらの理由から、彼等にとっては外の世界の方が余程辛いのではないか、と思えてきたのでした

 尤も、そもそもが産まれ付きの知り合い等居ろう筈も無く、敢えて言えば家族が唯一のそれに当たるのでしょうが、何れにしても人間はどちらかと言えば社会性生物であり、少なくとも社会の中で生きる限りはコミュニケーションは出来て当たり前
 他人が他人で無くなる、つまり友人知人を作る事は至極普通に行われる事であり、それが人生の醍醐味でもあります
 それが出来無いというのは、やはり一種の逃げか或いは処方が必要な状態だと考えます

 そんな訳で、引き篭もりを擁護する訳では無いのです
 唯、G.W.を控えて、自身も家族とゆったりとした幸せな時間を過ごしている一瞬、何故だかある種の寂しさを理解した気がしたのです

 通信手段を奪ってしまえば引き篭もりなんて居なくなる、と言う方がいらっしゃいますが、それは劇薬に近い行為で大変危険であると思います
 引き篭もりはニートと被る事が大変多いでしょうが、必ずしもサボタージュと同義とは言えないと思います
 慎重な対応が必要な場合も、在ると思うのです

 私は、元気ですよ
posted by N.Y. at 01:34| ニューヨーク 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | カオス理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする