引き篭もりを擁護するつもりは全く無いのです
むしろ引き篭もりには同情しない立場なのですが
忙しさから不意に開放されて、家族と街に繰り出している時、ふと思ったのです
引き篭もりが引き篭もる理由
それは、外に出る事の寂しさ故では無いかと
外の世界は広いです
その広い世界で、見渡せば周りの人は家族、友人、知人、同僚、或いは恋人と一緒に歩いている
自分には、誰も居ない
この孤独感が、引き篭もりに外出を躊躇わせているのではないか、とふと思ったのです
一見、家に引き篭もっている方がずっと孤独ではないか、外には幾らでも人が居るではないか、と逆説的に思いがちですが
良く良く考えてみれば、インターネットを使えば気の知れた仲間がすぐ捕まる訳です
一方で、外を歩いている人達は幾ら居ようが、自分と何の関係も無い赤の他人
又、彼等が孤独では無いという事実を突き付けられる残酷さ
これらの理由から、彼等にとっては外の世界の方が余程辛いのではないか、と思えてきたのでした
尤も、そもそもが産まれ付きの知り合い等居ろう筈も無く、敢えて言えば家族が唯一のそれに当たるのでしょうが、何れにしても人間はどちらかと言えば社会性生物であり、少なくとも社会の中で生きる限りはコミュニケーションは出来て当たり前
他人が他人で無くなる、つまり友人知人を作る事は至極普通に行われる事であり、それが人生の醍醐味でもあります
それが出来無いというのは、やはり一種の逃げか或いは処方が必要な状態だと考えます
そんな訳で、引き篭もりを擁護する訳では無いのです
唯、G.W.を控えて、自身も家族とゆったりとした幸せな時間を過ごしている一瞬、何故だかある種の寂しさを理解した気がしたのです
通信手段を奪ってしまえば引き篭もりなんて居なくなる、と言う方がいらっしゃいますが、それは劇薬に近い行為で大変危険であると思います
引き篭もりはニートと被る事が大変多いでしょうが、必ずしもサボタージュと同義とは言えないと思います
慎重な対応が必要な場合も、在ると思うのです
私は、元気ですよ
posted by N.Y. at 01:34| ニューヨーク

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カオス理論
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