2006年05月14日

ペットの死に主は何を想うか

 ペットを飼っていたが、死んでしまった あの哀しみを2度と味わいたくないから、もうペットは飼わない
 そういう話を良く耳にする
 私が産まれた時、実家には猫が1匹、犬が2匹居た 今はどちらも居ない 彼等が亡くなった時、次のペットの話が出なかったのは、同じ理由からだと思われる

 私の考えは違う 私は、世の飼い主達に声を大にして言いたい
「胸を張り、誇りを持て」


 年月を共にした相棒との離別は、言うまでも無く哀しいものである しかし、私にはその気持ちが「2度と飼わない」事に繋がる事が理解出来無い
 考えてみて欲しい 貴方が愛し、共に生きてきた相棒は、確実にこの世に存在していた それは事実である
 この世に存在する以上、彼は貴方に飼われなくとも、何処かで生き、そして死ぬ これも確実な事だ
 生きて死ぬ その避けられない事実の中で、彼が貴方に出会い 愛され 共に生きた事は、どの様な意味を持つだろうか
 十分に愛してやれなかったか?彼は貴方と居る事を苦痛に感じていたか?
 私は―貴方がそれ程迄に彼の死に哀しみ、苦しみ、痛みを感じているなら―そんな事は無いと思う
 貴方は、彼と過ごした日々が幸せでは無かったか? この問いに強く「違う」と答えられるなら、彼にとってもその日々は幸せだったに違い無い

 貴方と出会えた事で 貴方と生きた事で 彼は幸せに生きる事が出来た 貴方はそれを誇って良いと思う
 哀しいだけが事実では無い 少し落ち着いたら、過去の「事実」を顧みて欲しい そこには、貴方が胸を張って、誇れるものがあるのではないだろうか


 これはあくまでも1つの考え方であり、そうで無ければ間違っているとは思いません
 反省点ばかりが残って、悔やみから来る哀しさの多い人は、確かに次を考えない方が良いかも知れません 相手は命ある存在です 命の価値に差はありません ぞんざいに扱うべきでは無いものです
 しかしながら、相棒と一緒に過ごした日々が計り知れない輝きに満ちていた その反動で塞ぎ込んでしまう人は、その素晴らしい事実を別の角度から見てもいいのでは無いか と
 或いは反省点の多い人でも、次にそれを活かして改善出来るのであれば 再び相棒と人生を歩んでみる価値はあるのではと思います

 虐待で命を落としたり、捨てられ事務的に処理されたり また「自覚の無い動物愛護者」達に劣悪な環境に囲われ、苦しい思いをしている動物達のいかに多い事か!
 そんな中、特に際立ったものが無くとも、「平凡に」相棒と暮らせる飼い主さんは、自らに誇りを持つべきです
 哀しみにばかり囚われている方々、貴方の相棒が「私が貴方を不幸にしたの?」と言っていませんか?
posted by N.Y. at 12:16| ニューヨーク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | カオス理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/17792593

この記事へのトラックバック